ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア (Las Palmas de Gran Canaria)
この都市の建設は、1478年6月24日、カスティーリャの船長フアン・レホンがグラン・カナリア島の征服を始めたときにさかのぼる. 都市は「エル・レアル・デ・ラス・パルマス」(ヤシの陣地)という名前で、ヤシの木があった場所に建てられた. 先住民のグアンチェ族との戦いは5年間続き、双方に大量の死者を出したのち、1483年にグラン・カナリア島はスペイン王国に統合された.
町は成長を続け、島の政治・行政の中心地となった. 数世紀間は経済の重要な中心地でもあり、サトウキビの取引とヨーロッパやアメリカへの農産物の輸出に支えられていた. 景気のよいこの時代、町は何度も海賊に襲われ、襲撃は18世紀まで続いた.
1595年10月、イギリスの海賊フランシス・ドレークとジョン・ホーキンスの私掠船に襲われ持ちこたえたが、4年後にはオランダ人に町を掠奪され放火された.
19世紀には自由港が設立され、経済への大きな刺激となった. この特別な経済制度によってカナリア諸島の経済関係は発展し、港に来航する船の数が際立って増えた. この時期には観光業も生まれ、島で最高級のサンタ・カタリーナ・ホテルが1890年に開業した.
1957年から航空機時代が始まり、54人の乗客を乗せた最初の飛行機がガンド空港(グラン・カナリア国際空港)に着陸した. 今日では観光業はグラン・カナリア島の経済の主要な原動力となっているが、観光の発展は日光の強い島南部に限られている. 1989年にはラス・パルマス・デ・グラン・カナリア大学が設立された.